「寝そべり族」「親ガチャ」にみる多様的未来

2021年9月28日
スマホがあれば寝ながら、いろいろなことができる

寝そべり生活は素晴らしい

正直に告白しますと。いったん仕事を離れると、私は非常に怠惰な人間です。何もしたくなくなり、家族からの冷たい視線や冷笑、声なき罵りや嘲り(口には出さない)がなければ、日がな一日中、半月でも半年でもごろごろしていられる人間です。(非常に繊細・鋭敏な人間なので、言われなくてもすぐ感じます)

実際、最近は布団に横になったまま、スマホでテレビ(主にティーバー)に映画(アマゾンとネットフリックス)に読書(キンドル)を堪能しています。スマホでメールも送受信できますしね。非常に便利な世の中になったと喜んでいます。

そんな私の心を踊らせるニュースを最近知りました。

寝そべり族 です。

中国の若者に広がる「寝そべり族」  向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義
https://courrier.jp/news/archives/248461/

クーリエ・ジャポン 2021.6.7

お隣の国家からしたら、大変由々しき問題なのでしょうが、私個人としては笑ってしまいました。私だって、断片的には当の昔から「寝そべり族」そのものだからです。意味と内容は違うけれども。

中国の寝そべり族は「結婚せず、子供も持たず、マンションも車も買わず、起業もしない。なるべく仕事の時間を減らし、最低限の生活をする。そして誰も愛さず自分の為だけに生きる」ということだそうです。(さすがに、私はここまで先鋭化してはいない)

しかし、学業と労働のプレッシャーに耐えられず、過酷な競争から離脱し、手の届く楽な生活で満足する「寝そべり族」という人たちの気持ちには大いに共感し、賛同するものであります。

だって、競争って疲れるじゃないですか。

私は平和主義ですし、できるだけ人と争いたくはありません。競争も嫌です。マラソンは好きですが、遅い速いで競いあうのはできれば避けたい。(負けず嫌いな一面もあるので、抜かれたりするとムッとすることもありますが)。ビジネス上、マラソンランナー上、仕方がなく競争しています(競争するケースがあります)。

マーケティングを組む際は、できるだけブルーオーシャン戦略をとるように心がけています。

「親ガチャ」と聞いて、こんなことをふと

一方、わが日本では最近「親ガチャ」が話題に上りました。

ガチャの結果に負けないで生きる!

子どもがどんな親から、どんな境遇のもとに生まれてくるかは運しだい。アトランダムで自分ではまったくコントロールできない。才能や実力とは関係なく「運しだいで人生を左右されてしまう」ということを、カプセルトイやスマホゲームの「ガチャ」(商品の購入方法がランダム、運しだいで良いアイテムが手に入ったり、外れたりするシステム)に例えた言葉です。

ニュースにも、記事にも、テレビ番組の題材になったりもしました。

「親ガチャ」論争で気になる上から目線、真に語るべき貧困再生産の深刻
https://diamond.jp/articles/-/282871

ダイヤモンド・オンライン 2021.9.24 4:20

松本人志 「親ガチャ」に持論「若い人たちが軽やかな感じで遊んでた言葉」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5493c27ce09281362acd08944fbec1ae010c10ac

9/19(日) 12:50配信

私は、まっちゃんの意見に賛成でした。若い人たちが本気の泣き言で言っているのではないと感じたからです。

私はピンチに陥った主人公が、その辺にある一般的な品物・機材などを使って敵を撃退し、苦境から脱出するという映画的なシーンが大好きです。親ガチャ話を聞いててそんなことをふと思ったのでした。

世の中は実際、不平等・不公平だらけですし、まずは現有戦力(今持っている事物、スキル、才能、持ち物、道具)で人生を歩いていかなければなりません。不平等~がなくなるのが、本筋ですが、そこはなかなか…。

サバイブしているときの映画の主人公の心理は、おそらくこんな感じではないでしょうか。

苦境に陥った今、そんな泣き言を言ってもはじまらない。ごちゃごちゃ言わないで、少しでも早くここから脱出しよう。そのためには何をするのが最善か考えよう

苦しい状況でも、不条理な目にあっても、前を向いて刹那的ファイティングポーズをとる。そんな生き様が恰好いいと思ってしまうのです。

「寝そべり族」の競争を避けたい気持ちはよくわかりますし、「親ガチャ」をいう人の不平等・不条理も理解できます。そして、それらは終わりのはじまりではなく、そういう地平での新たな未来の出発点だと思うのです。

だってそうでしょう。「多様性」の時代なのですから。こういう新しい現象、状況を頭ごなしに否定していてはいけないと思うのです。